架空全集 第六期

「実在人物を描いた十冊」

千利休特集「本覚坊遺文」井上靖 講談社文庫
      「秀吉と利休」野上弥生子 新潮文庫
      「お吟さま今東光 講談社大衆文化館
2「風林火山井上靖
3「額田女王井上靖
4「煩悩夢幻」瀬戸内晴美
5「田村俊子瀬戸内晴美 講談社文芸文庫
6 広田弘毅「落日燃ゆ」城山三郎 新潮文庫
7「翔ぶが如く」全十巻 司馬遼太郎
8「冷血」トルーマン・カポーティ
9「光と風と夢」中島敦 講談社文芸文庫
10「黄色い下宿人」山田風太郎 講談社大衆文化館『奇想小説集』所収

 特定の作家に偏ってお恥ずかしいです。
 1の三作品は映画から入りました。もう随分以前ですが「千利休/本覚坊遺文」「利休」ふたつの映画がほぼ同時期に公開され、前者が井上靖作品の、後者が野上弥生子作品の映画化でした。全く違うアプローチで千利休切腹に至る経緯に迫る力作で、陶酔しました。あまりの違いっぷりに原作にも惹かれた訳です。お吟というのは利休の娘で、これまた全然違う描き方ゆえ併せてご堪能下さい。
 2はNHKの大河ドラマでやってお馴染みですが、あれは観ていません。昔の映画はテレビで観たことがあるけれど。武田信玄の知恵袋山本勘助が主人公。晴信(=信玄)の描き方なども含めて実に個性的。短い小説ですがどっぷり浸かります。
 3また井上靖ですみません。でも面白いんです。額田女王自身はなぞの多い人物なので自由に描かれてますが、よく知られた中大兄皇子・大海女皇子兄弟は、人物造詣に説得力があり大変興味深いです。
 4は「恋多き」と言われた和泉式部が主人公これはこの作家にはうってつけの物語人物でしょう。和泉式部だけでなく同時期の紫式部清少納言も登場し、これがまたいかにもこんな人物だったのだろうなあ、と嬉しくなります。
 5 実在人物を材にした作品ではこの作家には「かの子繚乱」が有名ですが、本作の方は小説と言うよりも精緻なルポルタージュ田村俊子と言われてもあまりピンと来ないかも知れませんが、あまりに早すぎた女流作家であったことが、本作でよくわかります。実は昔友人と、本作と次の作品を交換して互いに良しとする人物伝を紹介しあったのです。図らずして互いに紹介者らしさが出た作品の選択でした。
 6 で、こちらが紹介してもらった本。第二次大戦時、A級戦犯のうち文官で唯一死刑になったのが広田弘毅。戦争回避に奔走しながら自身は戦争の罪を問われ、黙して咎を受けた人物像は語り草になっています。本作の広田弘毅が必ずしも事実通りでなく「作られた」部分があることを指して疑問視する向きもあるようですが、これは小説ですから。歴史のお勉強と同一視するのはいかがかと。「自ら計らわず」という生き方に、人間のある種の理想像を見ます。
 7もNHK大河ドラマになりました。本作はその大河ドラマで面白かったので読んでみました。西郷隆盛大久保利通という、幼馴染同士でありながら幕末に袂を分かち違う運命を歩むことになる二人を中心にしつつ、激動の時代を骨太に描きます。
 8は、実際の凶悪犯罪を、犯人に直接取材して小説化したというスタイルの初めてのものだそうです。個人的には翻訳の文体が頭に入ってきにくくて随分と読むのに時間がかかってしまいましたが、内容自体はさすが。これを書いた時の作家自身を映画化した「カポーティ」を是非観たいのですが。
 9は「宝島」や「ジキルとハイド」の作家スティーブンソンの伝記ですが、書いている中島敦自身をも透かし見る思いがします。芥川賞候補になりながら、この回は「該当作なし」。作家にとっても時代にとっても残念なことでした。
 10 夏目漱石シャーロック・ホームズは同時代の人なんですね。無論ホームズは架空の人物ですが。漱石のロンドン時代にこの二人が出会っていた、という、想像するだに愉快な虚構。無論タイトルの「黄色い下宿人」というのが漱石です。ミステリーとしてもバッチリです。山田風太郎も実在の人物に取材した作品が多いですが、「神曲崩壊」なんて、一体何人出てくるんだという作品もあります。これは相当無茶な怪作。