偏った読書

どピンク

 をしています。「1809」佐藤亜紀→「天使」佐藤亜紀→「さまよう刃東野圭吾→「人間失格太宰治→「容疑者xの献身東野圭吾→「ユージニア」恩田陸(これ今読んでる最中)。
 途中に何故か挟まっている太宰治。この二ヶ月ほどの間に読んだ記事や教材に使った文章に、なぜかやたらと太宰治人間失格の名が出てくるので、「これは縁だな」と思って読み返して見ました。いま新潮から出ている文庫、えらい装丁になっていますね。
 「自分だけに語りかけているような」と評される太宰の言わずと知れた代表作にして遺作ではありますが、案外とこの作家のサービス精神は、殊この作品に関しては払われていないという気がしました。その意味では案外「らしくない作品」なのかも知れません。とは言え紛れもなく代表作であるには違いありません。久し振りに再読してみて感じたのは、やはり誰しも「これは自分だ」と感じる部分があるだろうということ、そしてそれと同じくらい「でも自分はこれほどじゃない」とも思うだろう、ということです。下世話な表現になりますが、この匙加減が絶妙なのでしょうね。作家が意図してのことかどうかはわかりませんが。
 これは悲劇の英雄ではないです。悲劇の英雄にもなれなかったダメさ加減、それが「人間失格」なのでしょう。それが、少年の頃には名作たる自画像が描けた男が、しがない漫画家に終わったということなのでしょう。