『甲賀忍法帖』山田風太郎(講談社文庫)

こちら映画のポスター

 数ある山田忍法帖の記念すべき第一作。
 徳川三代将軍は国千代か竹千代か・・・・定めあぐねた家康が選んだのは、双方に甲賀・伊賀の忍者を与させ勝った方に継がせようという前代未聞の方策。忍者総元締め服部半蔵により闘争を禁じられていた両族ながら、今しも両家跡取り同志の結婚により300年にわたる反目の歴史を閉じようとした矢先だったというのに・・・・。ここに想像を絶する忍法対決が解禁される。
 とまあ、紹介するとこんな感じになるでしょうか。
 エンターテイメント小説ここに極れり。とにかくその奇想と筆力に圧倒されます。これは猛烈に映像化したい欲求に駆られるでしょう。事実山田忍法帖は数多く、繰り返し映像化されている。本作もまた。でも、無理です。SFXは本当に進歩していますから、ある程度以上奇想天外な作品世界は具象化することができるでしょう。が、忍者だとか剣豪だとかの身のこなしは、やはりなまなかな俳優には無理です。それを言ってしまうとほとんどのアクションファンタジー映画は成立しなくなってしまいますが。いやそれ以上に、やはりこの独特の極彩色世界は山田風太郎の紡ぎ出す文章から立ち上ってくるものなのです。これに対抗すべくはもう映像作家自身の強烈な個性しかない。当然原作とは別物になります。それでいいんだと思います。かの『魔界転生』。以前日記で書きましたが。2003年版作品は、映像技術の進歩で転生シーンはじめ81年版深作欣ニ作品より遥かに原作に近い映像化に成功しているものの、全くと言っていいほどあの禍々しさが感じられず、インパクトの強さ、毒々しさで完全に深作作品に引けを取ってしまっていた。ああいうことです。(こんなことを言いつつ、実は最初に『魔界転生』に触れたのは03年の映画版。それが面白かったからこそビデオで深作版をみ、原作を読むに至ったのですが。)
 本作『甲賀忍法帖』も05年に映画化されているようですね(映画タイトル『SHINOBI』)。これはどうだったんでしょう。豪華キャストだったようです。個人的には全く「違うな」と思う部分もあるキャスティングですが、こういうことはもうどんな小説映画化作品にも読者の数だけ起こることでしょう。
 すぐに映画の方に話が行ってしまう。
 忍者十人同志の勝ち抜き対決です。ゲーム好きの人には馴染みの展開かもしれません。しかしまったく単調ではない。「忍者」=「スパイ」。そう実感するのが、まずこの闘いが情報戦であるということです。今とは違います。とにかく相手の忍術がどういうものであるか、とか、今相手がどういう状況であるか、ということが掴めない。これに先手打って対処した方の勝ちです。状況をどう読むか。武士と違って忍者同士の闘いに「フェアプレイ精神」というのは存在しません。どんなに汚く相手の裏をかこうが構わない。これがとてつもない緊迫感を生みます。そもそも「国千代か竹千代か」なんて、僕程度の歴史知識の持ち主でも結果は知っているわけです。それでも、全く先が読めない。この緊張感は何だ! 個々の忍者の忍術そのものの奇抜さも相当なものなのですが、この双方裏の裏を行く展開に引き込まれてしまいます。決定的有利かと思われた条件が、次の瞬間致命的な欠点に転ずる。思いもかけない相手にとんでもない負け方をする・・・・。
 この後おびただしい忍法帖ものが続いていく訳です。この毒は癖になる。山田風太郎忍法帖ものだけじゃないしなあ。まあ、ぼつぼつ行きます。