2時間会議

 今日の会議はなかなか感動的でした。守秘義務かせあります故具体的なことが書けないのですが、大激論、「鬼の目にも涙」の一場面もあり、でした。涙があったから感動的だった訳ではありません。たとえもらい泣きしても判断には一切影響しませんから。
 いろいろな方が発言され、それぞれの思想や性質が良くわかりました。僕が支持した意見と反対の立場の方にも、敬服する方もおられました。久し振りに民主主義を実感できる会議の席でした。
 そんな中でつくづく思ったのが、「(例外を求めるようなこんな原案がまかり通るなら)内部規定は何のためにあるのか」という発言は、一見正論のように見えて、この現場では如何に本来の目的から逸脱して行くものであるか、ということです。やはり事例ごとに個々の生徒の顔を見ていかないと。個人を第一に尊重して行くか、全体を考えるか、というのがひとつの争点でもありました。大所高所から見れば全体を考えるべきです。が、結局は個人を尊重することによって全体をも律していけるというのが一番大切な道筋なのです。今回僕が支持した道は、その可能性をはらんだものと信じています。
 実は、一時は気持ちが揺れました。反対意見に理ありか、と。でも、気持ちが揺れたことを恥じてはいません。僕は決して頭のいい人間ではない。なればこそ、いっとき反対意見の立場に理解できたその上で、もとの考えに立ち戻れたことが、よりその判断の客観的であることの証明になったと考えるからです。どんな立場にも義はあります。一方からしかものが見えないというのは非常に危険です。
 もひとつ思ったのが、これは学校だからだ、ということ。少し判りにくくて申し訳ないのですが、ルールはルールとしつつも個々の状況を勘案する、ということです。好きな言葉ではありませんが「情も大切」というのは、相手が社会勉強途上の高校生であり、過ちを正す手助けこそ学校の本分、という側面あってのこと。政局では自民党造反議員復党問題が議論されていますが、あそこで中川某が「政治は情」などど吐く場面など見るにつけ、呆れて物も言えません。社会人、ましてやたくさんの有権者の信を背負った者にくれてやる情などあるはずもない。ましてや実際にはそこには情などは存在せず、ただただ党の利があるばかりでしょう。国会で通った政策に、党首が変わったというだけで一切の責任を放棄する、そんな政権を支持しているこの国の恥ずかしさを思います。これだけ有権者はコケにされておいて、また次の選挙にはこの与党に投票するのでしょうから、やはり有権者が悪いということになるのでしょうね・・・・。
 えらい話逸れました。大人と高校生を同じ線で議論するのは正論に見えて実は詭弁でしかない、というのが今日の感想でありました。