教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきだ

立花先生


 11月2日朝日新聞夕刊に掲載されていた立花隆氏のコラム。言って欲しいことを全部言ってくださいました。ウェブ版には出ていませんでしたので、原文を抜粋で。(以下引用文)


 (前略)そもそも今なぜ教育再生がこのような形で政治問題化しつつあるのか。衆院に上程されている「教育基本法改正」が「やっぱり必要だ」という空気を作りたいからとしかいいようがない。(中略)しかし、今の教育が抱えている諸問題はすべて教育基本法とは別の次元の問題だ。(中略)
 教育基本法に書かれていることは、(中略)人類社会が長きにわたって普遍的価値として認めてきたことだ。(中略)このような普遍的価値にかかわる問題を、なぜバタバタとろくな審議もなしに急いで決めようとするのか、不可解としか言いようがない。(中略)
 考えられる理由はただひとつ、前文の書き換えだろう。(中略)
 憲法改正を真っ正面の政治目標に掲げる安倍内閣としては、憲法と一体をなしてそれを支えている教育基本法の存在が邪魔で仕方がないのだろう。(中略)
 教育基本法はなぜできたのか。(中略)先の戦争において、日本が「極端な国家主義民族主義」に走り、ファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってしまったのは、教育が国家の手段と化していたからだ。教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる「教育勅語」が日本の教育を支配していたからだ。
 教育基本法は、教育を時の政府の国家目的の奴隷から解放した。国家以前から存在し、国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。それは何かといえば、ヒューマニズムである。個人の尊厳であり、基本的人権であり、自由である。現行教育基本法の中心概念である「人格主義」である。
 教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。(引用以上)


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