羅生門の声の人(追補)

龍之介の河童


僕の授業を受けた方の多くが、僕の読む羅生門の冒頭と共に僕を記憶しているようです。
これは理由がはっきりしていて、それは他でもない、作品の持つ力故であります。決して僕の声や読み方に起因するのではない。
高校に入って最初に出逢う、力のある作品なのです。最近では羅生門は教科書の中盤くらいに位置が下がり、鷺沢萌などの作品が先に来ているものも増えています。鷺沢さんの作品もちろん大好きですし、それらの方が確かに生徒の食いつきも良いはずなのですが、そこがやはり所謂定番教材となった作品のそら恐ろしいところでしょう。
近年の生徒の力量を鑑みて、この作品を後ろに回す傾向もありますが、むしろ臆することなくこういう底力のある作品を真っ先にぶつけるべきだ、ということについては、前任校のお古いお局様の意見に賛同したいところです。
同様の理由で、山月記、こころ、舞姫といった作品が敬遠されつつあります。まあ気持ちはよくわかるのです。僕だって怖じ気づきます。やり始めても後悔する気持ちが多分に湧き起こって来る。が、それでもやはり、勇気をもって、こういう作品は扱っておくべきだと思うのですね。
誤解されるかもしれませんが(別に構わないのですが)、僕は保守的な訳ではないのです。むしろ常に新しいことをしたいと思ってる。なかなか、意余って力及ばず、ですが。定番教材に関しては、如何に現代っ子に共感されるように料理するかですね。
さて、今年度の1年生たちには、羅生門は心に残るものになったでしょうか…


後は蛇足ですが、この羅生門の朗読と言えば新潮から出ているカセット文庫の、橋爪功さんの朗読は聴かれた方も多いのではないかと思います。(殊に冒頭の)淡々とした読み方、あれは素晴らしいですね。小説が大変にビジュアルを喚起する描写なものだから、つい「おどろおどろ」と感情移入したくなるところですが、読み手があんまりコテコテとひねくると却ってよろしくない。その精神は大いに参考にしております。(この悪い例が同じ新潮カセット文庫の、江守徹が呼んだ山月記。だいたい近年の江守徹はどうなっているのでしょう。あの悪い冗談としか思えないオーバーな演技。人を小馬鹿にしているのかと思う。きっと本人は「これでもか」と巧いつもりなんでしょうなあ。聴けたものではない。)ただ橋爪版羅生門にも不満がない訳ではない。下人の言葉がドスが効き過ぎてるんですね。あれはまだ若い青年で、しかも前半などは自分が飢え死にしかけてるにもかかわらず盗みにも踏み切れない善良な男の子なんですよ。老婆の方は絶品であります。