師匠の話

恩師に会うということは、かくも嬉しいものであるか。
沙加戸弘は恩師である。
大学時代最高の賜り物は出会いであった。友人は、過日書いた高杉誠。師は、沙加戸弘先生である。このふたつの出会いなくして今の自分はあり得ない。
今日は出身大学の「阪神支局同窓会総会」であった。卒業以来16年、同窓会など関わったこともない。総会とはどんなものなのかも知らない。それが今回行こうと決めたのは、我が師匠の講演があったからだ。もう10年くらいお会いしていない。浄土真宗東本願寺宗門立の大学の総会講演会であるから、当然親鸞聖人の話であろう。が、この親父の話が、坊主ひとりの話にちんまり収まろう筈もない。
イメージに反し、会場は小さな会議室に過ぎなかった。聴講者は20人に満たない。講堂で行われるものとばかり思っていた。
入って来られた師匠は、しかし記憶と寸分違わぬ風情。僕の顔を発見し、にっこりと笑われた。もうこれだけで充分であった。
そして講話の内容は、よそうに違わずスケールの大きなものであった。それはできれば遠からずここでまとめたい。が、まとめられるかな? 自信はないが、しかしどこかにとどめねばもったいない。
心に鋭く刺さるお話であった。しかしそれは、終始爆笑の裡に流れて行った。
この博識。本当に、大袈裟でなくこの人に知らないことなどない。
この話術。真剣かつ奥深い内容の話でありながら、話題は縦横無尽、あらゆる日常卑近な笑い話が引き合いにされ、話は脱線したかに見えて知らず見事核心に着地する。そしてそれは常に「ものごとの本質へ本質へ」と向っていく。
この人柄。常に大きなもの、強きものへの反骨に貫かれながら、根底に流れるのは暖かな愛情である。
凄すぎて、手本にならぬ。いや、手本などと姑息な目的など消し飛んでしまうくらい、引き込まれる。至福の2時間であった。
講演会→総会→懇親会とあったから、てっきり酒席と考えていたが、軽食とお茶であっさり終わってしまう。師匠も多忙である。すぐとんぼ返りとのこと。慌てて、来る前に山本さんに寄って買って来た大黒の大吟をお渡しする。「一度あのメンツで集まらんといかんな」と笑顔で仰る。あのメンツとは初代沙加戸ゼミのメンバーである。
一刻も早くそんな機会の実現することを祈りつつ、会場を後にした。幸せな一日であった。


食って帰るつもりだったので、過日みつけた旨い蕎麦屋「堂賀」へ。湯葉刺し、そば掻きを頼み、酒を飲む。ここのそば掻きはまた松林のそれとは全然違う。ここのそば掻きは合わないな。ぱさぱさの団子状で、ここのメニューの十割の「田舎蕎麦」と同じ風味だ。蕎麦の香りは高いが食感も良くないし、好きではない。蕎麦は九割の「せいろ」が旨い。今日のは以前昼二度来て食べた何れの時より旨かった。まだ試していないメニューもいくつかあるし、次回麺喰い同盟例会は、ここでやってもいいんじゃないでしょうか。如何です、会員諸氏?