唐突と思うでしょうが、体罰の話

パブ「わがまま」

こちらによくコメントを下さるlibra55さんが、ご自身の日記に体罰についてのお考えを述べておられた。
最近のいろいろな情勢もあいまって、世間に極端な「暴力行使完全否定」という空気が流れている、それに対する警鐘の一端として「体罰絶対反対」に疑問を呈しておられる。大変考えさせられるので、まず是非そちらから読んでみて下さい。http://d.hatena.ne.jp/libra55/20040414#1081943474(勝手にリンクさせてしまって、ごめんなさい!)
で、こうなると本職の僕も改めて考えてみない訳にはいかないですよね。

基本的に体罰反対なんです。自身の出身高校が体罰の酷い処だったというのも大きいかもしれません。
勿論、何がなんでも体罰反対、ということもとても言えないです。僕は平和な学校しか経験していません。まあ、今の職場でも稀に乱闘なんてこともありますが、あれくらいかわいいもんです。だから本当に困難な現場で、言葉では間に合わないという場面は「あるだろうな」と、想像するぐらいです。だから、何がなんでも体罰反対、なんて、とても言えない。
しかし、やっぱり「力をふるう」のは最後の一手だと思います。言葉の通じない相手というのがいます。いくらでもいます。が、あくまで言葉・道理を説く努力は最後まで投げられないです。教師はあらゆる手段と全人格をもって生徒との意思疎通をはかるべきで、そうした中で信頼関係をちょっとずつでも構築して行こうとします。その過程で、その時はわからなくても後々になって理解されるということもいっぱいあって、だから妙な平和主義に収まってはいられないし、たとえば生徒に嫌われたって別に「ヘ」でもないんですが、そういうことではなく、力に訴えてしまうことに、ある不安を禁じえないのです。
それは、「慣れ」です。マヒしてしまうんです。日常的になってしまう。すると当然それは生徒も同じことで、しまいには「グダグダ言ってんとサッサと一発殴っとけや」と思うようになる。これは、殴らせたらそれでチャラ、という思想です。自分の行動を反省するのではなく、単なる貸し借りの世界。つまり、事態の解決や思いを伝えるつてに繋がらなくなってしまうのです。必ず、そうなってしまうと思います。それが怖い。

僕がまだ非常勤講師だった時、ある先生が生徒と出会い頭に頬にしたたか平手打ちを喰らわせたのを目撃しました。ものすごいイイ音が響きました。詳細は忘れてしまいましたが、その子が担任のその先生の信頼を裏切るような大バカをやらかしたのだったと思います。あれは、「伝わったな」と思った。

学校の外におられる人が、最後の一手としての「力」に理解をして下さっているということがすごく嬉しかったです。一方で、(好むと好まざるに関わらず)権力者たる教師の側は、手前のやることの責任の重さをよくよく考えなければならないのです。