万年筆箱⑧「モンブラン作家シリーズ」(03.9月の文章)

モンブランのホワイトスター

 万年筆といえばモンブラン。キャップトップのホワイトスター(といいつつ、実際には名峰モンブランの頂に降る雪の結晶をモチーフとしたマークだが)には、得も言われぬ憧れというものがある。いっときでも「もの書き」に憧れた者ならこの感じはわかるのではあるまいか。
 そのモンブランが、1992年から1年に2種類ずつの限定品を発表している。ひとつは歴史的に文化に貢献のあった人物をイメージした「パトロン・シリーズ」。ロレンツォ・デ・メディチを皮切りに、ポンパドゥール夫人やルイ14世といった人物のモデルもある。こちらはとにかく豪華絢爛を旨とし、20万円台の価格設定ときているから、ハナっから僕には対象外。まあ、モデルとなる人物にもさほど親しみがない、ということもある。
 もうひとつ並行して発表されるのが「作家シリーズ」である。その名の通り世界の文豪がモデルとあっては、こちらは「興味がない」では済まされない。第1作のアーネスト・ヘミングウェイは、いまだ僕の中でも憧憬の対象である。発表当時は8万円くらいで発売されたものだが、僕がその存在を知ったのは6年ほど経ってから。当時はものを知らないもんだから、どこかで見つからないものかと随分探してまわったものだ。
世界限定25000本という生産量だから、その頃にはとっくに店頭からは姿を消していたのだ。後に東京で巡り会った時には、プレミアがついて30万円の値がついていた。そんなものが買える訳もなかったが、僕はアメ横で、万年筆と並んでボールペンも置いてあるのを見つけた。おそるおそる店のおっちゃんに値段を尋ねると、万年筆から比べればほぼ発表当時から値が釣り上がっていなかった(ボールペンやペンシルはもともと万年筆よりは安い価格設定になっている)。それでも決して安くはないので随分迷ったが、結局はそれを買って万年筆を持つ代わりとすることに決めた。太軸で艶消しのエボナイト製のボディは、手に取ってみるとぴったりと指に吸い付くような質感で、オレンジ色が派手なようで案外シックである。大変感激した。(後日こともあろうにこれを紛失してしまったことは先述の通り。これ以上の無念はない・・・・。)
 万年筆の中で最初に買った作家シリーズはドストエフスキー(97年 17000本生産)である。『罪と罰』しか読んだことがないが、これをもう一回読もう、読もうと思いつつ先のばしにしてある、そういう作家である。これはナガサワで発見した。その頃とにかく太字に憧れていたので、たまたま店頭にあったB=太字を買った(限定品なので、ペン先のサイズまでその店にみんな揃っている事は少ない。大抵はM=中字かF=細字しかない)。ところで、Bというペン先は実に厄介だ。太い線を出すためには、当然先端部が幅広く造られている。だから紙に直角に降ろせばスムーズに太い線が出ることになるが、そんなに真っすぐに紙にペンを置いて書くような人はほとんどいない。誰しも書き癖というものがあって、大なり小なり紙に対して角度がつく。そうすると、途端にBペン先は書きづらいペンになる。殊にモンブランのBは先端が本当にまっ平らの「へら」みたいな形になっている。書き癖が強いほど、ペン先のカドばかりがガリガリと紙に当たって、ちっともインクは出てこないのだ。これには参った! いわゆる「好事家」の文章によれば、この
書きづらい荒馬の如きペン先を馴染ませるのが醍醐味であるという。しかしあの硬い硬い万年筆のペン先(そりゃそうだ、柔らかかったらすぐ削れてダメになる。「三年筆」とか言われそうだ)、あれが自分の書き癖に馴染むまで頑張ろうと思ったら、一体何年不自由なままで書き続けなければならないのか! そこまでの忍耐はとてもない。それまでに絶対他にはじめから書き易いペンを求めて乗り換えに行ってしまうだろう。−と、そこで登場するのがペン先調整職人さんである。ナガサワでは年3回、プロを呼んで店頭でペンクリニックということをしてくれる。これはこれで別記するつもりだ。そして、調整と言えば東京品川フルハルターの森山さんである。森山さんは本当にすごい。目の前でちょこっと字を書くとたちどころに書き癖を見抜き、これに合ったペン先に調整して下さる。先述のドストエフスキー。これがいまやどれ程心地よいペンであることか。以来、作家シリーズはわざわざBを選び、森山さんに調整をお願いする。
 いま手にある作家シリーズのペンは、ドストエフスキーの他、オスカー・ワイルド(94年 15000本)、アレクサンドル・デュマ(96年 15000本)、エドガー・アラン・ポー(98年 17000本)、フリードリッヒ・シラー(2000年 18000本)。そないに一杯・・・・と思うだろうが(実は僕もそう思う)、これが皆それぞれ太さ・重さ・ペン先が違うから、それぞれ書き味は違う。シラーだけは発表時に阪急の筆記具売り場で買った。ここは関西で一番モンブランに強い。今や他のペンとは独立して別の階に売り場
がある。しかし所詮はデパート、売り子のお姉さんは素人よりはモノを知っている、という程度でとても頼りにはならない。中にはこっちから強くお願いしないと試し書きもさせてくれないこともある。しかし、このシラーを買った時は担当の人が親切で、店にあるシラーを全部(3本)出してくれた。Mペン先しかなかったが、その中で一番書き易いと思えるペンを選べた。これ以外の3本はいづれも東京でみつけた。そしてBを森山さんに合わせていただいている。デュマは中学生の時に『三銃士』を読んで忘れられぬ作家になった(読んのはそれだけなのだが)。ちょうどテレビの日曜洋画劇場で2週連続放送で『三銃士』『四銃士』をやっていて、『三銃士』があまりに面白かったので月曜日に学校の図書館で原作を借り、きっちり一週間で読んで翌週の『四銃士』の放映を迎えたのをよく覚えている。万年筆は、キャップのクリップに剣があしらわれた、極太軸の豪華なしつらえの一本である。
 ワイルドとポーは、いずれも原作より映画化作品で馴染んだ作家で(デュマと一緒か・・・・)いずれも陰鬱なイメージが強い。ペンの方もそれぞれこのイメージをぴたりと表現した、冥い色気がある。
 シラー以降このシリーズにもあまり興味を感じなくなった。「カフカ」だとか、日本の作家が採りあげられ
たりしたら、また別の話なのだろうか。